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1/16改め1/4(十七歳の秋)

アダルトTSF支援所支援図書館に投下したものです。
続編も、まとまったらまた支援図書館にアップするつもりです。


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 発端は、臨海学校の最後の夜。宿の片隅に置いてあったピアノに俺の目が留まったことだった。
 小さい頃、何がきっかけか忘れたけれど(母親の差し金ではなかったと思うが)、一時期ピアノを習ってた。すぐに難しくなったし飽きてきたしでやめてしまったわけだけど、ふとした拍子にこうして見かければ触ってみようかと思うくらいには馴染んでいる。
 その晩まで気づかないでいたくらい目立たない場所に置かれていたピアノは、けっこう古めかしい。
 人目もないし、ちょっとならいいかな。
 蓋を開けて、鍵盤に軽く指を走らせる。調律は問題なし。
 お気に入りだった曲の山場、アップテンポな数小節を弾いた。『アンネリーゼ』の手はもちろん『竜彦』より小さいわけだけど、子供時代と違和感が少ない分却って弾きやすかったのかもしれない。
 気持ちよく弾き終えて蓋を閉めると、背後から拍手が聞こえた。
「アンネリーゼさん、ピアノもお上手なんですね」
 慌てて振り向くとうちのクラスの委員長だった。
 急いで脳内で検索する。アンネリーゼはピアノを少しは弾けると言っていた。コンクールに出るくらい上手いなら言い触らしていたはずだから、実際に「少し」なんだろう。だから、この姿を見られたことにも、この程度の腕前を披露したことにも、問題はないはず。委員長は、たしか演劇部で裏方をやってるとか聞いたことがある。なら、ここから部活に誘われるなんてこともないだろう。
「それほどでもありませんわ。少々たしなんでいた程度のことで」
 無難な受け答えをしながら、俺はさしたる危険もなかろうと頭の中で判断していた。
 迂闊なことはするもんじゃないと、後でつくづく思ったね。
 そりゃ、この後の一連の出来事って、去年までのアンネリーゼにとってはきっと大したことでもなかったわけだけどさ。



 二学期を迎えて十日ほどしたある日の昼休み。
 生徒会室から戻ってきた委員長はひどくしょげていた。
「ごめんなさい! 抽選外しちゃいました!」
 クラス全体を包む落胆のため息。
 よその学校は知らないが、うちの文化祭の場合、部活単位や有志による企画やパフォーマンスは盛んなわりにクラス単位の活動にはけっこういいかげんなところがある。半分が喫茶や軽食の店、残る半分がおばけ屋敷や迷路なんて状態が、かつては珍しくもなかったらしい。
 数年前からさすがにそれはいかんのじゃないかという声が上がり、各学年十クラスのうち喫茶店やおばけ屋敷は五クラスまでの制限がかかるようになった。残り五クラスは研究の展示とか、体育館のステージを使っての合唱披露とか、高校の文化祭と聞いて思い浮かぶ一番つまらない分野を担当することになってしまう。
 お笑いや色物に走っても却下されやすいから案を考えるのがつまらなくて面倒だし、いくら本腰を入れてないクラス企画であっても、準備期間が盛り上がらないことおびただしい。
「それで、ですね。私、クラス企画考えてみました!」
 委員長の爆弾発言に今度はざわめくクラス。まさか乱心したわけでもあるまいが、ものの数分で面倒事の第一段階がクリアされるとは誰も思っていなかったろう。
「体育館のステージで、芝居をやろうと思うんです。脚本の原型はもう書いてあります。演劇部のコンペで採用されなかったものなんですけど、それの登場人物をもう少し充実させるってことで」
 ああ、裏方って脚本のことだったのか。
 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。今日の五時間目はホームルームなので、そのまま話は委員長提案の芝居が議題になりそうだ。反対する奴なんていそうにないけど。


「別に、反対しているわけではありませんのよ。ただもう少し議論を尽くすべきではないかと思いますの」
 言い募る声に力が入らない。クラスの連中ほとんど全員に「はいはいツンデレツンデレ」と言わんばかりの表情で見られるのって、堪えるなあ。
「アンネ、男らしく引き受けなよ」
「わたくしは女ですわ!」
 何か言ってはならない台詞を言ってるような気もしないではないけれど、そんなことよりも交渉を続けることが重要だ。気にしちゃいけない気にしちゃいけない。

 委員長の書いた台本の仮題は『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ』。登場人物はピアニストとヴァイオリニストだけでなく、オーケストラと呼ぶには小規模な、室内楽を演奏するために集まった十人程度のメンバー。経験の浅い若者たちの、本番直前の緊張や混乱や興奮を描くとのこと。
 もちろん劇の軸は、タイトルにもなっているピアニストとヴァイオリニスト。特に出ずっぱりのヒロインであるピアニストは、一番重要な役柄だ。

「どうも先ほどから、わたくしがヒロインということで決まりそうになってしまっているのが気にかかりますの。ピアノが弾ける方なら、他にもいるではありませんの!」
 別にうちのクラスは音楽科というわけではない。吹奏楽の経験者は多少いても、ヴァイオリンだのチェロなんてみんなお手上げだ。
 だから劇中の演奏練習シーンで、その辺の音はCDなどから流用する。だけどピアノだけは、演奏をとちったりする場面もあり、その場で生演奏することになってる。
「わたし、演技なんてできないもん……」
 俺に名指しされたように感じたのだろう、合唱コンクールの時にピアノを弾いていた子が、蚊の鳴くような声で言った。内気なんだよな。
 いや、俺だってもう三ヶ月に渡って家の外では演技を続けているわけで、ただの出演ならこんなごねたりはしなかったわけだけど。
 恋人であるヴァイオリニストと喧嘩して、泣いたり拗ねたり騒いだりした挙げ句、最後は仲直りしてベタベタなラブシーンって……。

 議論が膠着状態に陥った時、しばらく黙って見守っていた委員長が静かに口を開いた。
「実はこの役……」
 場が静まった瞬間を見計らったように発された一言は途中で途絶え、自然と教室の視線が彼女に集中する。
 一瞬困ったような笑い顔を見せ、委員長はおもむろに言葉を継いだ。
「アンネリーゼさんをイメージして書いたキャラクターなんです」
 俺の心をへし折る勢いで放たれたとどめの一撃。
 救いを求めてアンネリーゼに目をやるが、諦めたように首を振るばかり。
 こうして俺は恋する乙女を演じることになったのでした、まる。
 ちなみに相手役のヴァイオリニストは満場一致でアンネリーゼな『竜彦』。俺だってもちろん手をあげたさ。あいつにも恥ずかしい思いをさせてやるんだ。



 運動会の練習の合間を縫って、文化祭の準備は少しずつ進められていく。
 ホームルームから三日後にはキャストに合わせて微調整した脚本が上がり、キャストは休み時間にそれとにらめっこするのが定番となった。
 五日後の放課後には、本番に使う体育館のステージを初めて使った練習時間が与えられた。委員長の演技指導のもと、脚本片手に動き回って声を張り上げる。
 台詞は覚えきれてないし、制服だし、楽器の類はまだ調達してないけど、こうして舞台に上がるとやっぱり気持ちが違ってくる。体育館なんてそんなに大きくないはずなのに、眼下に広がる空間はやけに広々としているように見える。
 俺、ちゃんとできるのかな……。
 ちょっと、不安も感じ始めた。

 一通り済ませて委員長が終了を宣言すると、体育館の隅から拍手の音。
「部長」
 委員長がそう言うってことは、演劇部の部長さんか。落ち着いた物腰の女性で、柔らかく微笑んでいる。
 一瞬不思議に思ったけど、ここは元々演劇部が使うステージなんだから演劇部の人が来ていてもおかしくないか。でもそれならここが空いてないことも聞いてるはず。
「脚本、それが本来の形だったのね? 部で見せてもらったのはロックバンドの話だったけど」
 舞台下から語りかけてくるのに、よく通る声。
「はい。人数の問題がありましたので」
「結果論だけど、元の人数に戻せてよかったんじゃないかしら。やり取り自体はあまり変わらなくても、その人数ならではの自然なものになってるものね。本番も楽しみにしてるわよ」
「ありがとうございます」
 言葉は素っ気ないくらいだけど、委員長の声が心なしか弾んでるみたい。今になって「あ、こちらは演劇部の部長です」なんて俺たちに紹介を始める。
 たった今のごく短い会話で判断するのも何だけど、この部長さん、委員長の脚本を気にかけていたのかな。部で使われなかったっていうから、ちょっと委員長が落ち込むとか何かあったのかもしれない。
 そんなことを考えていると、部長は俺たちを見回して悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「その子、意外に意地悪だから気をつけなさいね」
「部長ったら、変なこと言わないでください」
 俺たちもその時は変なことを言うと思ったものだけど。


 演出家としての委員長は存外サドだった。
 口調は普段と変わらないのに、言ってることがこちらのヘマの度合いに応じてどんどんきつくなっていく。
「わたくし、委員長に本気で罵倒されたら心に一生ものの傷を負いそうな気がいたしますわ」
 自らも毒舌で鳴らすアンネリーゼが、家に帰ってからしみじみとそんなことを言うことさえあったのだから、推して知るべし。


 運動会も終わり、いよいよ学校全体が文化祭へ向けて盛り上がっていく。
 帰宅部中心で構成された俺たち出演メンバーなんて、連日放課後の教室で居残り練習だ。シナリオもすっかり覚えている。
「もう、和弥なんて大嫌い!」
「アンネリーゼさん、まだ演技が硬いです」
 もちろん、台詞を覚えただけでうまくいくほど芝居は甘くないわけで。
「次のシーンで悪い知らせを聞いて動揺する姿との強烈な対比が欲しいんで、ここではヴィクトリアには思いっきり拗ねてもらいたいんです。どうせすぐ仲直りする、仲直りできる、そんな甘えがにじみ出た、だからこそ表面的にはきついくらいの怒り方で」
 俺もわかってます。そうできれば、次のシーンで可哀想なほどうろたえちゃう「ヴィクトリア」が強い印象を観客にも与えるだろうってこと、頭じゃわかってます。
「前にも言いましたけど、もっと素直にやっちゃっていいですから。家に帰った時のお二人の痴話喧嘩をさらけ出すくらいの勢いで」
「ですから! わたくしと竜彦はそんな関係じゃありません!!」
 最近はもう自分でも言うだけ無駄な気はしてるけどさ、実際そんな風にはなってないんだから、言い続けるしかないよな?
「はいはい、寝言言う暇があるなら台詞をきちんと言ってください」
 うう……。
「もう、和弥なんて大っ嫌い!」
「……時間もないですし、今日はそれでいいです。次のシーン行きましょう」


「芝居って難しいなあ」
 風呂でこぼすと、アンネリーゼに笑われた。
「今さら何言ってるんですの?」
「いや、台詞覚えてた頃はただ必死だったけど、演技とか考え出すと……。ヴィクトリアの気持ちとか、女になりたての俺にはよくわかんねーし」
「女になりたて云々は関係ないと思いますわ。……わたくしも大きなことは言えませんけど、できるだけ想像力を働かせてみるべきじゃありませんの?」
「……そんなもんかね」


 その後、委員長の徹底したしごきで(この身体になってから、俺、女子にスパルタ教育ばかりされてるな)どうにか見られるぐらいにはなったものの、クライマックスシーンにいまいち不安を残し……。
「……アンネリーゼさんばかりに構ってもいられませんし、そこは自宅で最後のおさらいをお願いします。竜彦さんも」
 うう、明日が本番だってのにこの言われよう。
「ではアンネリーゼさんと竜彦さん以外の方は、今日も居残りですのでよろしく」
 まあ、みんなよりはまだマシと思われてるのかなあ。向こうは連日残って追加の特訓だし。
 ともあれ。俺たちはこうして本番当日を迎えてしまったのだった。



「もうっ、和弥なんて大っ嫌い!!!」
 ワンピースタイプの緑のドレス。その裾をくるりと翻し、俺は「和弥」に一度背を向けると乱暴にピアノの前の椅子に腰かけた。腰のサッシュで赤いコサージュが揺れる。
「ヴィクトリア、ちゃんと僕の話を聞いてよ」
 俺の身体のアンネリーゼ扮する「和弥」がそんなことを言うけど聞く耳なんか持ってやらない。
「そんなにあたしが気に入らないならどこへでも行っちゃいなさいよ! 麻美さんなら優しくしてくれるんでしょ?」
「おいヴィクトリア、こんな時に何言い出すんだ!?」
 オーボエ担当のリーダーがたしなめるけど、ちょっとした行き違いから恋人と口喧嘩して依怙地になっている女の子には通用しない。
「今日の演奏、ヴァイオリンなんていらないわ! あたしのピアノで観客を満足させてあげる!」
 そんなすごいことを言いながら俺は実際にピアノを弾き始める。テンポの速い流れるようなメロディの割には、かじったことのある人間には意外と簡単な曲で、観衆の九割九分を占める素人さんへの目くらましには充分だけど現役でピアノ弾いてる人とかが聞いたらたぶん失笑ものの演奏。まあ、そこは見逃していただきたい。
 ここでとちったら台無しなのでそこには細心の注意を払いつつ、なるべく今の「ヴィクトリア」の気持ちを込める。俺は素直になれない女の子。今抱いている感情は、腹立ちと、憤りと、でも、心のどこかでは安心して彼に怒っているような、可愛いわがまま。
 最初の頃ダメ出しを食らっていたこの辺のやり取りだけど、ある日ふと気づいてからはそれなりにこなせるようになっていた。これって、俺とアンネリーゼが喧嘩した時の気持ちに少し似てるなあって。
 口じゃ激しく言い争って、でも、絶交なんかするわけなくて。怒っていたってほんの数時間もすればいつものように会話を交わすようになって。
 アンネリーゼが傍にいること、いつの間にか当たり前になってた。それは入れ替わる前も、入れ替わってからも、おんなじ。
「和弥、ちょっと買い出し頼む。向かいのコンビニでジュースとか、適当によろしく」
「でも――」
 客席から見て左――下手にいる俺とは反対の、上手の端でリーダーが窓の外を指さしながら「和弥」に言っている。演奏に夢中になってる俺には聞こえてないという体。
「ヴィクトリアもそうだが、お前も頭冷やせ」
「……はい」
 俺も、喧嘩がヒートアップしてきた時に母親にあんな風に介入されたことがあったっけ。台所からのんきな声で呼びつけて、いきなり買い物行って来いとか。あの時は空気読めって思ったものだけど、あれこそが空気読んでたってことなのかもな。
 そんな取っ掛かりのおかげでいくらかは感覚が掴めてきたこのシーンはいい。でも、問題はこの先なんだよな。
 上手から「和弥」が退場して数分後、自分たちの関係をあれこれ他のメンバーにからかわれ、他にも各人のドラマがそれぞれ展開していく中、戻ってくる途中で「和弥」が階段を転げ落ちてしまい、気を失った状態で担ぎ込まれる。救急車を呼べ演奏はどうすると周囲が大騒ぎになる中、激しいショックを受ける「ヴィクトリア」。
 でも感極まって彼女が彼の胸にすがって泣き出した時、「和弥」は無事に目を覚ます。演奏会は中止にならずに済み、二人はきちんと仲直りして、本番の会場へ向かう一同……というところで閉幕。まあ、ハッピーエンドだよな(後日の検査で深刻な怪我が判明なんてことにさえならなければ)。
 でもなあ……ちょっと「ヴィクトリア」の感情の振り幅、激しすぎないかね? 恋人が気を失ったくらいでこうもうろたえちゃうか? 確かに、口では何だかんだ言っててもそれくらい本当は相手を強く思っているってことであり、それはここまで存分にツンデレぶりを発揮してきた芝居の流れを見れば確かに誰の目にも明らかではあるんだけれど……。
 演じてる俺自身が、そこまで誰かを強く愛したなんてことがないわけだから、どうも説得力を与えられる気がしない。委員長には嫌になるほど演技指導を受けて、普段の竜彦との関係そのままで行けとまた叱られたわけだけど、ごめん、本当に無理。
 今現在の舞台の上ではあれこれ青春群像劇が展開しているけれど、今の俺はすねちゃって殻に閉じこもってる役回りだから絡む必要もない。あたしに関わるなオーラを周囲に放ち、でも、演者としてはやがて訪れる大きな見せ場に心臓をバクバクさせながら、その時を待っていた。

 おかしい、と最初に思ったのは上手の奥の舞台裏で何かバタバタし始めた時。かすかに、でも焦ったような足音が、外へ向かって駆け出して行くのが下手の俺にまで聞こえてきた。
 そろそろ上手からアンネリーゼが戻ってくる時間。なのにあいつの姿は一向に見えない。
 その数十秒後、一度上手に下がっていたクラリネット担当の子が、俺の方に向かってきた。脚本にない動き。なぜか顔が強張っている。
「ヴィクトリアもいいかげん機嫌直しなよ。和弥くんと仲良くしてる時のあんたが一番可愛いんだから」
 ぎこちない台詞を口にしながら、客席と俺の間に立って、スキンシップを仕掛けてくる。俺もアドリブで応じるしかない。
「何よ、あんたには関係ないでしょ!」
 と、彼女の手が小さい紙片を鍵盤の上に滑らせた。委員長の筆跡。
『竜彦くんが、舞台裏で本当に転んで怪我をしました』
 大きめに書かれたその文字列を、最初に目にした。
 一瞬、呼吸が止まる。
「おい、和弥が階段を転げ落ちたって!」
 袖から駆け出して来たフルート担当の叫びが重なる。それと一緒にぐったりしたアンネリーゼが運び込まれてくる手はずなのに、その姿はない。
『頭を強く打っていて、先生には動かすなと止められました。救急車を呼んでいます』
 やや小さめに書かれた次の行。さらにもう少し小さい、三行目以降。
『芝居はどうにか最後まで続けるつもりです。アドリブ連発になるかと思いますが、指示は袖に戻ってきた他の人たちにある程度出していますので、彼らの流れに』
 それ以上、読み続けられなかった。
 アンネリーゼが、怪我した。
 頭を強く打っている。救急車が呼ばれている。深刻な怪我。
 命に関わるかも、しれない?
 アンネリーゼがいなくなるかも、しれない?
 思っただけで、全身から血が引いていく気がした。
 立ち上がり、鍵盤に手をつく。不協和音がステージに響いた。

 しなくちゃならないのは、芝居。当たり前だ。俺は医者じゃない。RPGの僧侶でもない。倒れてるアンネリーゼのところに駆け寄ったって、何ができるわけでもない。
 なのに口が動かない。ピアノの傍に棒立ちになって、舞台の上で何もできずみっともなく突っ立っている。
 心のどこかに穴があいて、突風が吹きこんできたみたいだ。せっせと詰め込んだ芝居の台詞が全部どこかに吹き飛ばされて、ストーリーの流れも吹き散らされて、アドリブ一つ思い浮かばない。
 周りではみんなが一生懸命演じている。機転を利かせてドラマを再構築してる。でもその声も、よく聞こえない。鼓動が早鐘のように高まってうるさいし、顔からは血の気が引いて耳鳴りまで始まった。
 混乱と焦りで頭がぼんやりする中、自分がここにいるべきじゃない、と思った。
 ここでただ黙って立っているくらいなら、アンネリーゼの傍にいたい。役に立たなくったって、隣で手を握っているだけでもいいから、アンネリーゼを感じていたい。
 軽いめまい。よろける。足に力が入らない。貧血で倒れた経験なんてないけれど、目の前が暗くなってくるのはかなりやばい気が。ああ、本当に倒れるかもしれない。

 その時。
「心配させて、ごめん」
 俺を優しく抱きかかえる腕。聞き慣れた声が気遣うように謝る。
 頭を包帯で巻いたアンネリーゼが、俺を支えてくれていた。
「さっきのメモは委員長のついた嘘。本当に怪我したわけじゃないから」
 俺の耳元でそっと囁くと、声を張り上げて芝居を軌道修正していく。
 アンネリーゼの囁きが頭の中で意味を成すにつれ、気持ちは落ち着いていく。アンネリーゼ、怪我なんかしてないんだ。よかった……。
 でも安堵とともに増していくのは、さっきまでとは別種の焦り。もう芝居の流れなんてわからない。今はアンネリーゼに支えられているからしゃべる必要もないけれど、この先いったいどうすればいいんだろう?
「ヴィクトリア」
「は、はい!」
 至近距離から声をかけられ、芸のない返事をしてしまう。
「演奏、がんばろうね」
 言うや否や。
 ……後でみんなから聞いた話によると、ストーリー的には「ヴィクトリア」と「和弥」の問題以外は全部一段落していたらしい。そして二人の喧嘩にしても、俺の反応とアンネリーゼの抱擁から、台詞を入れるまでもなく決着がついているのは観客にも明らかで、残るは幕を引くのに必要なちょっとしたアクション一つあればよかったとのこと。
 だから、その、芝居の結末としては妥当なものだったみたいなんだけど。
 唇に、温かい感触。
 ……え?
 大きくどよめく観客席。速やかに閉じる幕。
 非日常の舞台から日常の体育館ステージに戻ったその真ん中で、俺から引き離されて男子どもにもみくちゃにされているアンネリーゼを見ながら、俺はたった今アンネリーゼに特別な形で触れられたばかりの唇を押さえて、しばし呆然としていた。



「結局のところ一番不安だったのは、アンネリーゼさんと竜彦さんだったわけです。なので、お二人には内緒で若干ルートの違う脚本も準備して、周りの人にはそちらの展開もありうると事前に指導してました」
 委員長が一人になったところを捕まえて話を聞き出すと、あっさり白状した。
「どうもアンネリーゼさんは、芝居しようという意識が強すぎて、脚本を引いた視点で受け止めていて、いまいち入り込めてない模様でしたので。なら現実感をたっぷり盛り込んでみればいいのかなと。後先考えない一発勝負だからできたことですけれど……期待以上のものを見せていただきました」
 確かに、思い返せば俺の反応って脚本の中のヴィクトリアそのまんまだったよ。不自然どころかすごく的確だったわけで、目の前の脚本家には詫びたいところだけど、同時に目の前の演出家には苦しまされもしたんだよな、これが。
「そのために、あのメモを?」
「はい。つまらぬ嘘でご心配かけてすみませんでした」
 謝りながらもちっとも悪びれていない。
「演劇部の部長さん……」
「え?」
「すごい嘘つきでしたわね」
「そうですよね。私が『意外に意地悪』だなんて……」
「『意外に』どころか、とんでもない意地悪ですわ」
「……その評価は心外ですね」
 どの口がそんなことを言えるんだろう。
「本当に意地悪だったら、当初の予定通りもう三十秒は竜彦さんの戻りを押さえ込んでましたよ?」
「え?」
「ですが本人が『これ以上アンネリーゼをほっとけない』ってとても強い調子で言うものですから。私としてはヒロインが舞台上にくずおれるぐらいしてみせた方がインパクトが強かったと思うんですが」
「…………」
「ところで」
「は、はい?」
「最後のあれについてのクレームはないんですね」
「そ、それは……だって、あれは竜彦が勝手にやったことでしょう?」
「ええ。私の演出じゃありません。さすがにそこまでは要求できませんから」
「やっぱり」
「さすがですね。し慣れていると演技か本気かくらいはわかりますか?」
「違いますわ! きっと、その、切羽詰まってわけがわからなくなってあんなことをしでかしたんだと思っただけです!」
 だって。
 誰かに指示されての恋人同士の演技としたら、あんな震えるようなキスになるわけないもの。
 ひょっとしてアンネリーゼも、ファーストキスだったのかな。


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プロフィール

茶

Author:茶
小説『おれがあいつであいつがおれで』で入れ替わりに、漫画『ヒロインくん』でTSに、アニメ『まんが日本昔ばなし』のあるエピソードで女性の変身にはまりました。

ご連絡はirekae☆writer.interq.or.jpまでお願いいたします(☆を@に変えてください)。

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